『社員の力を引き出すことを最大限重視した姿勢がその真髄か』
リクルート事件で国会に喚問された江副さんを子供の頃、テレビで見た。その姿は小柄で頼りなさそうな初老の男性という印象で、とても一代で大企業を創りあげた人物とは思えないほどの存在感のなさだった。
この本には、リクルート成功の理由がいくつも述べられている。例えば、「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」という社訓。PC(プロフィットセンター)制という、会社のなかに会社を作って、PC長が経営者として権限を与えること。「じっくりT会議」という4半期ごとの泊りがけでの取締役の会議。社長も社員もニックネームで呼び合う社風など。
また、心に刺さる言葉も出てくる。「ネットワークで仕事をする」、「人は仕事を通じて学ぶ」、「脅威と思われる事態のなかに隠された発展の機会がある」など。
だが読んでいて、何か物足りなさを感じた。本田宗一郎、松下幸之助、中内功、あるいは孫正義といった強烈すぎるほどの個性を持った起業家たちの凄まじい生き様と比べると、かなりあっさりしている。創業者本人というより、どこか冷めた評論家のように会社と自らの歩みを振り返る。
なぜここまで冷めた感じがするのか。何かまだ書いていないことでもあるのかとも思った。だが、読後しばらくして、そうではなく、この「冷めた感覚」こそが、多くの人材を輩出した理由ではないかと思った。強烈な個性と才能を持つ起業家の下では、必ずしも起業家は育ちにくいのかもしれない。自らを「凡庸な人間」と呼び、自らは必ずしも前面に出ず、社員の力を引き出すことを最大限重視した姿勢こそ、リクルートのDNAを生み出したのではないかと。そう感じたとき、子供の頃にテレビで見た、透明な存在感の江副「被告」の姿と、この本の「冷めた感じ」が自分のなかで重なった。